自転車屋さんで

Jul 30

私の祖父は、戦前から神戸の港で外国人観光客相手の商売をしていたそうです。

神戸港には、世界各地から大きな客船が入港していました。

戦争でビジネスは中断せざるを得なくなったのですが、現場で培った語学力は彼の中で生き続けていました。 私が小学生の頃、祖父に「『魚』のことは、英語でなんていうの?」と尋ねると「フイシ」と書いてくれました。「フィッシュ」よりも遥かに本物の英語に近いと思いません? 神戸には「メリケン波止場」という名所があります。「メリケン」の方が「アメリカン」よりも自然な米語にずっと近いと思いません?

戦後間もないある時、祖父が一軒の自転車屋さんの前を通りかかると、外国人のお客と店の人が大声で怒鳴り合っているのが聞こえました。外国人はフランス語で、自転車屋さんは日本語で怒鳴っています。 祖父が中に入って事情を聞いてみると、とても単純な誤解であったということがわかりました。 どういう誤解だったのかは私たちにも伝わっていないのですが、祖父がフランス語で説明してあげるとそのフランス人は満面の笑みでお礼を言い、最後には自転車屋さんとすっかり仲良くなって握手を交わしたそうです。

 

主よ、私をあなたの平和の道具として下さい。(アシジのフランシスの祈り)

Seigneur, faites de moi un instrument de votre paix

Herr, mach mich zu einem Werkzeug deines Friedens

Lord, make me an instrument of your peace.   (Prayer of Francis of Assisi)

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私の生きがい